いろいろなパラドックス

みなさんパラドックス、好きですよね。

考えれば考えるほど訳が分からなくなるパラドックス考えて自分の脳をいじめ倒すの、好きですよね。

ご安心を。パラドックスが大好きで毎日7時間しか眠れないみなさんのために、いろんなパラドックスを用意しました。どうぞ心ゆくまで混乱してください。

イエスノーパラドックス

まずは単純なパラドックスから。以下の質問に「はい」か「いいえ」で答えなさいと言われた場合、どちらの答えでもパラドックスが生じます。

「あなたはこの問いに『いいえ』と答えますか?」

「はい」と答えた場合、「問いに『いいえ』と答える」はずなのに「はい」と答えたから矛盾。「いいえ」と答えた場合、「問いに『いいえ』と答えない」はずなのに「いいえ」と答えたから矛盾します。

説明しながら混乱してきました。脳みそが軋んでいる音が聞こえる。

嘘つきのパラドックス

嘘しかつかないピノキオが「私は嘘つきです。」と言った場合、パラドックスが生じます。

「私は嘘つきです。」というセリフが本当だった場合、嘘つきではなくなるので矛盾。「私は嘘つきです。」というセリフが嘘だった場合、「私は嘘つきです。」というセリフが真実となるので矛盾、と言った塩梅です。

このパラドックスは単純ゆえに、ポストカードverなどの派生がいくつかあります。ポストカードverのパラドックスは、以下のようなものです。

ポストカードの表面には「裏面に書かれている内容は正しい」と書いてあり、裏面には「このカードの表面の文章は誤りである」と書いてあるとします。

表の文章が正しいとするならば、裏の文章も正しいはずですが、裏の文章が正しいなら、表の文章は誤ってなければなりません。逆に表の文章が誤りだとするならば、裏の文章も誤りであるはずだけれど、そうすると今度は表の文章が正しくなければなりません。

ややこしすぎる。燃やしたくなりますね、そんなポストカード。

19文字以内で記述できない最小の自然数

19文字以内で記述できない最小の自然数を求めるとします。

何かしらの数字が、19文字以内で記述できない最小の自然数だと分かったとします。

しかし、その数字は、「19文字以内で記述できない最小の自然数」という19文字の言葉で記述できてしまうので、パラドックスが生じます。

タイムパラドックス

タイムパラドックスとは、タイムトラベル(時間旅行)をした際に起こり得る矛盾のことです。最も有名なパラドックスではないでしょうか。

例えば、自分が生まれるより前の過去に行って自分の親を殺したとします。すると親から今後生まれるはずだった自分も生まれないことになります。しかし、自分が存在しないのならばそもそも過去に行って親を殺すことができません。これがタイムパラドックスです。別名親殺しのパラドックス。

親が子を産むのが先か子が親を殺すのが先か。このタイムパラドックスを理屈で解決できないと、過去への時間旅行は不可能のままらしいです。誰か解いて。

全知全能のパラドックス

全知全能の神がいたとします。この神はなんでも知っているしなんでもできます。

この神が「絶対に誰にも持ち上げられない石」を作り出すとします。神は全能なのでこの石を作ることは可能です。しかし、神は全能なので、「絶対に持ち上げられない石」を持ち上げてしまうことができてしまい、矛盾が生じます。

神も大したことないですね。

アキレスと亀

人間のアキレスと亀が徒競走をしようとしています。ハンデとして、亀は100mほど先の地点からスタートすることにします。もちろんアキレスの方が亀より足が速いので、すぐに亀に追いつくでしょう。

ここで、アキレスが100m地点に着いた頃、亀は110m地点に着いたとします。その差は10mに縮まりました。しかし、アキレスが更に10m進んで110m地点に着いた時、亀は1m進んで111m地点にいます。アキレスが111m地点に着いた時には亀は111.1m地点にいます。これを繰り返すので、アキレスは永遠に亀に追いつけません。これがアキレスと亀のパラドックスです。

引用:https://to-kei.net/special-feature-article/achilles/

この画像が永遠に続くイメージです。

階段のパラドックス

階段のパラドックスはアキレスと亀によく似ているパラドックスです。

あなたは今まさに階段を降りようとしています。一番下まで降りるにはあなたは必ず階段を半分降りなければなりません。同じように、階段を半分降りるためには、階段を1/4降りなければならない。そして、階段を1/4降りるには、1/8降りなければ・・・と無限に続いていく。つまり、あなたは階段を降りるために無限大の行動を完遂しなければなりません。

この「無限大の行動」は無限大なので論理的に考えると永遠に達成できないはずです。すると結論としては、この世には「階段を降りる為の終わり無き無限の行動」か「初めから階段を降りない」という二択しか存在しないことになります。これが階段のパラドックスです。

そんなわけなくない?ってなりますね。

死刑囚のパラドックス

不躾で申し訳ありませんが、あなたは死刑囚です。「お前の処刑は来週の月曜から金曜のいずれかで執行される。ただし、処刑は予測できない日に行う。」と看守に言い渡されました。

処刑が金曜だとすると、木曜日になった時点で予測できてしまうから金曜が処刑の可能性はなくなります。同じように、木曜が処刑だとすると水曜の時点で予測できてしまうからない。これを繰り返すと、どの曜日も予測できてしまうことから、処刑は不可能と結論づけられます。

しかし、結果的にはどの曜日に処刑が行われようと、あなたの予測が外れることとなり、結果として看守の言う通りになる、というパラドックスです。恐ろしい看守だ…。

死刑判決パラドックス

死刑つながりでもう一つ。

裁判所での判決発表では、通常、判決結果を言ってから判決理由を述べます。しかし死刑判決の場合は、先に死刑判決をしてしまうと被告人が動揺して判決理由を聞かなくなってしまうため、判決結果(主文)は最後に述べることとなっています。

しかし、この事情を知っている被告人だと、判決結果を後回しにされた時点で死刑だとわかってしまい、結局動揺することになるパラドックスです。

動揺を避けるための仕組みが動揺を誘発してしまう、なんとも現実的なパラドックスでした。

砂山のパラドックス

以下の前提と結論から成るパラドックスが、砂山のパラドックスです。

  • 前提1:砂山は大量の砂からできている
  • 前提2:砂山から砂を1粒取り除いても、それは砂山である
  • 結論:砂を1粒ずつ取り除き続け、砂が1粒になってもそれは砂山である

前提条件は正しいのに、そこから導かれる結論が明らかにおかしいパラドックスです。

ベジタリアンのパラドックス

ベジタリアンは動物愛護の観点から動物の肉を食べません。

そのベジタリアンが、食べられることを望む、しゃべる豚に「私を食べて」と言われたうえ、その食肉加工された肉が目の前に並んでいたら、果たして食べるのか、という思考実験です。

また、反対に、限りなく脳死に近い状態で育つように改造した鶏の肉を食べることは良いことだろうか、という思考実験もあります。

これはパラドックスの面白さよりも物議を醸しそうな気配がするので紹介に留めておきます。

ワニのパラドックス

ストーリー的に語られるパラドックスです。

ナイル川の河岸で、人食いワニが男の子をさらっていこうとした。男の子の母親はワニに対して「子供を返して」と懇願した。するとワニは「自分がこれから何をしようとしているのかを当てたら子供を返してやろう、はずれたらこの子を食べる」と答えた。母親が「あなたは私の子供を食べるでしょう」と言うと、ワニは混乱した後、子供を解放した。

母親が「あなたは私の子供を食べるでしょう」と言った時点でパラドックスが発生しています。もしそれが正解なら、ワニは子供を返さなければならないけれど、同時に子供を食べなければならない。もし不正解なら、ワニは子供を食べても良いことになりますが、食べると、結果的に母親の予想は正しかった事になるため、矛盾します。

母親の機転の利き方が尋常じゃないですね。

あとがき

頭痛くなってきたんでここら辺にしときます。

それでは、パラドックスが起こっている文章で締めたいと思います。

この記事に真実はありません。

参考

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